バランス

カロリーメイトはメープルかココア、どうもこんにちはLac-Qです。暑くて録音する気も編集する気も起きません。どうしよう。とは言いつつ楽しい夏休みでございます。

ものすごい夏だということ

つい一週間前ほどから始まった大学の夏休みだが、この夏休み人生史上初のことが起きている。それは「宿題のない夏休み」だということだ。忘れもしない小学一年生、私は最終日にヒーヒーと日記を書いていた。中学二年生、私はバカな行為からやけどをしながらこれまたぎりぎりで自由研究をやっていた。高校三年の夏、毎日クソ暑い学校までチャリを走らせ、朝から晩まで受験勉強をしていた。そんな生活が夏休みであり、受験生であった2つの年を除き私の夏休みのテーマは「いかに遊ぶか」であった。勉強という学生の一応の本分がある中で効率よく、あるいは親から小言を言われないように遊びの予定を立てたり、宿題のご褒美にスプラトゥーンをしたりと勉強と趣味とのバランスを図ることが目標になっていたし、二つの活動は持ちつ持たれつの関係だった。しかし、この夏はそうではない。ほとんど課題が出ていないのだ。人からやらされることは皆無で、自分が何をするかを考えていかなければならないのだ。あぁ、まるで大学生みたいじゃあないか。つまり1日中ゲームをすることも、遊び歩くことも可能であり、やらなければいけないことなど、バイトぐらいだということだ。さて困った。座学が好きなわけではないが、いざ「何をしてもいい、ただし漫然と過ごすな」という趣旨のことを大学から言われると何をすればよいか分からなくなってしまう。で、悩んでいるうちにあっという間に月日は過ぎ、振り返れば寝ている時間ばかりになっている自分が恥ずかしい。こんなことなら漫画ぐらい読めばよかった。こんな状況だからこそ非常に自分自身を試されているような気がしている。コミュニケーションや独創の世界や、インプット作業まで、しなければいけないことは山ほどある。さて私はそれらを集中してこなしていけるだろうか。

ありえない夏だということ

コロナというのはどうしても生活の中で避けられない要素になっていると思う。だって夏までにもう少し知り合いが増えて、たくさん遊べていた可能性もあるのだから。だが、現実は無情で特に実家暮らしの私は親の目もありあまり遊び歩くというわけにもいかない。残念だが、当然の話になってくるだろう。それに加えて最近実感するのはこんなに自由でいいのだろうかということだ。というのも私の身近には学校生活もコロナで満足に送れない学生や、就職した同級生、がいて彼らの夏はそう自由ではないからだ。ふとその人たちの姿を見ていると私だけ人と遊んだり、趣味に没頭したりすることばかりを考えているような気がして、罪悪感に襲われる瞬間もある。自分で選んだ道だし、年下の奴らはいずれ同じ夏を過ごせるし、と言い聞かせても目の前にいると謳歌もしずらい。イレギュラーなことが多過ぎて、考えたくなくなる話である。どこか遠くへ行きたい。

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