実録!肺気胸入院ルポ

 みなさんこんにちは、三度の飯より呼吸困難、Lac-Qです。さて今回は私が体験した一連の病気「肺気胸」についてその経過から治療までを詳細に報告したいと思います。どんな病気なのか、なるとどうなるのか、みなさんの知識の一助となれば幸いです。周りに似たような症状の方がいたら教えてあげてください。

目次
・発症に気づくまで
・最初の病院へ
・入院スタート
  (ここで肺気胸とは
・入院から手術まで
・いざ手術
・術後
・退院から抜糸まで
・現在まで
・まとめ

発症に気づくまで

 私は6月下旬のある日、洗濯物を干していると、体をかがませた時に違和感があった。その時の言葉のままで説明すると「内臓がドゥルンドゥルンと動く感じ」である。とにかく体の傾きに合わせて内臓のような何かが動くのである。最初は痛みよりも気持ち悪さが強かった。例えるなら、お盆でビー玉を何個も転がしているような感覚である。ちょうど家族と体型の話をしていたので親からは「胃下垂で胃が固定されていないんじゃない?運動しなよ(筋肉つけなよ)」と言われていた。だから私は胃が動いているものだと思い込み、夜に「リングフィットアドベンチャー」でもやろうかと考えていた。この違和感を感じたのは朝の10時ほどのことであり、その後私は家の中でいつも通り活動していた。しかしいつまで経っても違和感は消えない。それどころか、階段の上り下りなどで、胸部あたりがズキンズキンとし、息が少し苦しいのを感じた。実は同じようなことは激しい運動をした後や通学で自転車を使った時にあり、その酷いタイプであると思っていたのでそのうち治るだろうと考えていた。しかし、昼ごはんを食べる時間になる頃にはBBQで煙を吸ってしまったような息ぐしさを覚えていた。親にも相談し、これはもしかしたら大事かもしれないということを確認した。もともと私は虚弱体質で、すぐに体の調子を崩すので「Lac-Qは大袈裟」というのが家族内での通説であった。そういうこともあり、次の日の朝まで待ち、それでも治っていなかったら病院に行くということになった。このとき既に私には37.4℃程度の微熱があった。

最初の病院へ

 違和感が始まった日の次の日の朝、案の定私の淡い期待を裏切るように息が苦しかった。というわけで、急遽病院へ向かうことになった。個人情報もあるのでやんわりと説明するが、まずは近くの病院に行った。この時点で私たち家族はネットなどの情報から「肺気胸」ではないか?という予想は立てていた。しかし2021年6月というのは新型コロナウイルスの流行の時代、体温が37.5℃以上の人はまずコロナの疑いをかけられてしまう。残念なことに病院で測った私の体温は37.7℃であった。そこでまずは症状云々の前にコロナウイルスの抗体検査を行うことになった。病院の廊下の奥に開設されていた隔離スペースに15分ほど待機させられる。この間息も苦しいのでかなり不安である。その後抗体検査に入る前に、看護師から「症状的に多分コロナ陽性の可能性は低い」と言われ、抗体検査の結果を待たずにレントゲン検査をすることが告げられた。その後病室に案内され、まずは鼻にブスッと挿す抗体検査、そのあとまた15分程度待たされレントゲン検査を行った。それから検査結果を待ち、診察室に行った。

 まずコロナの検査結果は陰性。疑いが晴れる。そして肺気胸であることが告げられた。初めてこんな重いことを医者に言われた。入院が必要なこと、全身麻酔の必要な手術が推奨していることを説明した。母親と私は手術することを決め、即座に市内の大きな病院に行くことになった。一度家に帰ると、入院を前提に着替え、充電器、パソコン等を持ち、車で移動した。どんどんと息苦しさは増し、壁に寄りかからないと立てないほどになっていた。ちなみに自動車の縦振動は結構痛い。このとき私を心配してくれていた大学の知り合いに初めてど定番のこの文句を使った。これ以降基本的に移動はすべて車椅子になった。

I have good news(コロナ陰性) or bad news(肺気胸).

入院スタート

 大きな病院に着くと車椅子に乗って、受付へ移動。体温を測り、驚くことにまた抗体検査を行うことになった。紹介状の有無ではなく、熱があった場合は問答無用でコロナの疑いがかけられるようである。ここはかなりヤキモキした。もちろん肺気胸であることはわかっているので、まずはCT検査を受けるため大きな病院の呼吸器外来の廊下で待つことになった。ここで私は極度の緊張に襲われたのか、車椅子に座っていながら立ちくらみのようなものを感じ、意識が遠くなるということが起こった。急いで母親に看護師を呼んでもらい、一度横になれるベッドがある部屋に移動した。視界が暗くなり、耳も遠くなったが気絶することは回避できた。看護師から「血圧低っ」と言われたことを覚えている。仰向けになって安静にしているとやがて血圧は戻り、CT検査を待った。

 CT検査後、診察室へ案内される。そこで、主治医となる先生(以下、N先生)に会い、改めて病気の説明を受けた。

 その後、新型コロナウイルスの抗体検査をN先生に行ってもらった。

ここで肺気胸とは

 ここで肺気胸についてN先生から教わったことを簡単に説明する。(詳しくは要検索)

 肺気胸は肺に穴が開いて呼吸の際に空気が漏れてしまう病気である。ここでまず注意したいのが、肺の真ん中に急に穴が開くわけではないということである。肺の上部に空気のたまる風船のような部分が人によってはある。これをブラと呼ぶ。そのブラは肺の他の部分と比べ非常に薄く弱い。呼吸に合わせて鼻ちょうちんのように膨らみ、しぼみ、を繰り返している。そこの部分がなんらかの原因で穴が開くことで空気が漏れてしまう。これを明らかに外的な要因で発生する気胸と区別し「自然気胸」と呼ぶ。

 この風船のような膨らみは全員にあるわけではない。これはまだ決定的なデータはないものの、体の成長過程でできてしまうものである。内臓は22歳ほどまで成長を続けるのであるが、時として体の外側の成長スピードに追いつけないことがある。そのとき肺が身長の縦方向の伸びに引っ張られ、風船ができてしまうというのである。この風船ができる現象は、肋骨の丸みの幅が薄い人(つまり横から見た時胸が薄い人)にできやすい。なぜなら、成長の際に肋骨の内側が細長くなりやすいからである。そのため肺気胸は「高身長の痩せ型の男性」に多いと言われる。しかし、痩せていることそのものと発症には関係がなく、筋肉がついていても骨格の問題で肺気胸になるリスクを抱えるのである。肋骨の幅が狭い人は痩せていることも多い、といった関係でしかない。

 さて、この風船が割れるきっかけはよくわかっていない。逆に言うといつどんな時に割れてもおかしくないのである。激しい運動、くしゃみ、など心当たりのある人もいるそうであるが、安静にしている人でもなる。

 この肺気胸になった場合、治療が必要になる。いくつかのサイトでは、「軽症の場合は経過観察」ともある。これは穴の開いた部分を放置し、自然にくっつくのを待つということである。これは治癒でなく、一時的に穴が塞がるということに過ぎない。そのため再発のリスクが高い。であるから近年では軽症であっても手術を推奨している、とはじめの病院で言われた。手術による治療というのは、穴の開いた風船を切り落とすものである。「穴を塞ぐ」わけではない。肺の上部にできた風船ごと切り落とし、その傷を塞ぐのである。手術の詳細は後述するが、全身麻酔を必要とする手術である。

 一般的に死ぬ病気ではなく、N先生からあまり危機感は漂っていなかった。

入院から手術まで

 入院後私は、しばらくお世話になる病室まで行った。なお、この時点で付き添いの母親とは離れる。コロナ禍ということで基本的に患者と病院関係者以外は病棟に入ることはできない。もちろん面会も不可能である。病室につくとまずは点滴の針を刺す。点滴など小学生ぶりである。もちろん痛い。私は医者に笑われるほどの極度のくすぐったがりで、人に触られるのは苦手である。そのため、すべてが苦痛で痛みも他の人より感じていたはずである。

 点滴の針を無事刺してもらうと、次はN先生と仲間たち、看護師、そして医学生が私のベッドまでやってくる。入院してすぐに手術と言うわけではない。まずは、処置を行う。内容は、肺から漏れた空気で胸の内側(胸腔)に溜まっているものを抜くためのものである。肺から漏れ出た空気は肋骨の内側に溜まってしまう。そのため、穴の開いた肺がある側の胸は徐々に張った感じになる。これを放置すると穴の開いた肺が外圧によってさらにしぼんでしまうのである。完全に肺がしぼんでしまうと、肺くしゃくしゃにくっついてしまう。私のイメージでは、まるめたサランラップ。一度しぼみきった肺はまるめたサランラップのように綺麗に広げることが難しくなる(できないことではない)。それを防ぐため、まずは処置をする。内容は至ってシンプルで、空気の溜まった胸の側(今回は左)の脇の下あたりにメスで穴を開け、管を挿し込み空気を抜く。

 患者は穴を開ける側を上にして横になる。青いゴムのシートみたいなものをかけ、皮膚を切る部分に麻酔をし、刃を入れる。いくら麻酔とはいえ、私は非常に繊細である。自分の肌が斬られている感触は第一に気持ちが悪く、第二にめちゃくちゃ痛い。そして皮膚を切るとその下は筋肉である。この筋肉には刃は入れない。筋肉の隙間から管を挿していくのである。この管は灯油のポンプぐらいの太さで、ぐりぐりと挿していく。私は神経などの体の仕組み詳しくないので気のせいと言われてしまうかもしれないが、皮膚と違い筋肉には麻酔が感じられず、本当に痛かった。19歳の私は情けない声で「いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい・・・・・・」と言い続け看護師に頭を撫でられていた。22歳の大学生には授業の教材として観察され、心の中で「こんなに痛がってごめん!」と思っていた。N先生は処置中もとにかく優しく接してくれた。管を定位置まで挿すと傷口をテープ等で保護し、処置は終了する。同時刻から痛み止めの投与が始まる。ちなみに緊張が相まって処置中に失神してしまう人もいるそうである。

 肺に挿した管は水の入ったタンクとそれを管理する機械とつながっている。息を吐くたびにこの管から空気が漏れ出て水から気泡がポコポコと音を立てる。最初はおかしくて笑うのであるが、笑うと処置部が痛いし、より気泡が出る。そして処置後は痛みとの共同生活である。管は脇の下から上方向に鎖骨の裏あたりまで挿さっている。問題はこの管で、呼吸に合わせて管も内側の空洞で動くのである。肺自体は痛みを感じない。しかし、空洞の内壁、つまり肋骨の裏あたり、そこに管が触れる瞬間痛みが走る。呼吸のたびに動くので基本的に生きている限り痛い。痛みの種類は耳かきで奥に挿し過ぎたときのようなキンとする神経系の痛みをより強くした感じである。

 この処置が終わり落ち着いたのが午後3時ごろ、処置後は別の先生がやってきて、採血をした。かなりの量が必要で、ももから注射した。その後、採血、レントゲン検査等の結果を踏まえ、手術に向けた説明がN先生から行われた。そこで先生は現在の状態と、手術の内容等を丁寧に説明した。しかし私は正直1時間ほど前に挿した管の痛みで真面目に話を聞くどころではなかった。

 これでこの日にやることは終了である。あとは次の日の手術に備えて寝ることになる。私は就寝時間まで大学やバイトの関係者に入院の旨を胸の痛みを感じながらメールで送った。胸だけに。

 その夜、管の痛みは強く、痛み止めなしでは寝ることはできなかった。痛み止め(鎮痛薬)は点滴で随時投与される。しかし全身麻酔を伴う手術の前でもあるため、使える鎮痛薬には限度がある。私は痛み止めを打ってから1時間程度なら眠ることができたが、そのあとはまた痛みで目が覚める。痛みが辛かったため看護師や先生と相談し、最初に示されていた回数よりも多い回数の鎮痛薬を投与してもらった。種類を変えたり、量を調整したりしてくれた。また、睡眠導入剤も飲んだ。結果的に私は朝までコンスタントに鎮痛剤を投与し続けた。

 朝になってからは手術前の検査がある。CT検査をもう一度受け、レントゲン検査をし、最後に歯医者にも行った。これは手術で口から酸素の管を通すためである。口の中の汚れが原因で管を入れた際に口腔内が傷つき良からぬ炎症を引き起こすことを防ぐために歯を綺麗にする。これとほぼ同じタイミングで飲み物の飲むことができない絶飲食の状態になる(絶食は前日の夜から)。ここまでのことが終わるといよいよ、手術を待つことになる。

いざ手術

 手術の時間が近づくと入院病棟を出て、車椅子で手術室まで移動する。基本的にこの間も管の痛みはある。コロナ禍ではあるが、手術前の軽い面会は許可している。といっても手術室の前ではなく、入院の病棟と手術室のある病棟の途中のエレベーターの前である。この後は看護師1人と手術室まで向かう。手術室の前にはほとんど人がおらず、手前の廊下に入るドアの前で名前と手術部分について確認される。そうすると手術室側の看護師に引き継がれ、もともと付き添っていた看護師とも別れる。手術室に入る前にもう一度名前等の確認があり、直後に麻酔の先生から自己紹介を受ける。緊張しているのでもっと早い段階で自己紹介してほしい。こうしてやっと手術室に入った。初めての経験である。

 もはや緊張で意識は曖昧であるが何人かの人がいた。こちらの緊張とは裏腹にリラックスしているように見えるのは気のせいなのであろうか。手術台に仰向けで寝ると眩しいライトの光がさし込み、服を脱ぐ。そうして麻酔を入れますよと言われる。点滴で麻酔を入れられると緑色のマスク(酸素マスクであっているのかな?)を軽く装着する。ここで息を整えていると徐々に麻酔が効いてきて呼吸が苦しくなる。もちろん初めてで恐怖もある。しかし、恐怖や息苦しさがピークに達するよりもかなり前の段階で私は記憶が途切れた。心の声で例えると

く、苦し・・・・・・zzz

 手術は前述の通り、肺にできた空気の風船(ブラ)をそれごと取り除くものである。全身麻酔が効いた後、穴を2ヵ所に開ける。位置は最初の管を入れた場所の近くで、これによって計3ヵ所に穴が開いたことになる。またどこかのタイミングで尿道に排尿用の管、口から酸素用の管を入れる。そして最初に挿していた肺の空気を抜くための管を抜く。こうして三つの穴ができるのである。ここで真ん中の穴にはカメラを入れる。左右の穴には手術を行うアームを入れる。いわゆる胸腔鏡手術である。モニターで内部を確認しながら、空気の漏れているブラをハサミとホッチキスが一体となったような器具で切り落としながら針で傷を留める。今回の手術では割れたブラ意外に目立つブラが2ヵ所見つかっていた。こういった場合ブラは基本的に今後肺気胸の原因になるものであるから、取り除くようにする。しかし、肺に何ヵ所も傷をつけることは好ましくないため、穴の開いた絶対に取り除かなければいけないものと一緒に一直線上で切り落とせるものに限る。私の場合は全てが直線上にあったため、一度で三つのブラを取り除いた。傷を塞ぐ針はチタンのものが使われた。この針は体の内部に一生残るものである。問題部分の切り落としが終わると、穴から器具等を抜き、3つの穴のうち、初日に開けたものと、手術で開けたものの片方を抜糸のいらない糸で縫う。残った1つには初日の処置と同じように空気を抜くための管を入れた。まず、管を再び入れる理由は手術が成功しているかどうかを空気漏れの有無で確かめるというものである。空気が漏れていた場合手術は失敗となる。また初日の処置と違う穴に管を入れる理由は、同じ穴が長期間開き、傷が病んでしまうことを防ぐというものである。これによって手術は終了である。

 麻酔から目が覚めるとその時点ではまだ口に管が入っている。また鼻にも酸素の管が入っている。意識が曖昧な中、口の酸素の管のみが抜かれた。麻酔がまだ効いているので痛いということはない。その後はベッドでガラガラと病室まで運ばれる。N先生曰く「若い人ほど全身麻酔後はハイ状態になる」と言っていたが、例に漏れず、空気も漏れず、私もハイになっていた。肺だけにね。記憶が曖昧ではあるが、麻酔から覚めた後の眠気について語っていたようである。この後徐々に意識が明確になり、落ち着くのを待った。

術後

 病室で横になっていると親が軽い面会に来た。少し様子を見て話した程度である。手術がとりあえず成功したことが告げられ、体の様子について聞かれた。まず手術前ほどではないが、まだ胸に管が入っているため基本的には痛い。そして、口の中が荒れている感覚があった。さらに手術中、穴を開けた側の腕を常に高く挙げていたため、硬直による強い筋肉痛のような状態になっており、腕が全く動かなかった。手術が終わったのが夕方で、最終的に肺気胸が治ったかを判断するのが次の日になるため、ここからはまた待機時間となる。

 前日の時と同じように痛みで眠れないため、痛み止めを点滴してもらう。加えて、腕が上がらず、傷口も痛いため、寝返り等の動きが一切できなかった。完全な寝たきりである。排尿は管を通じて自動的にしていたため動けなくても問題はなかった。夜になるにつれて胸に挿している管以上に筋肉痛の左腕が痛かった。痛み止めは筋肉痛には効きにくい場合もあると看護師から言われ、痛みに耐えた。夜中何度か苦しかったため寝返りを打つことを試みたり看護師に介助を頼んだりしたが、痛みが酷く結局はできなかった。その結果、床ずれもわずかではあるが起きた。

 何回も痛み止めを投与してもらいながら、一晩明けて、食事を再開した。これと並行して寝たきりの私の元にレントゲン検査の先生がやってきて、撮影を行った。その後、無事手術が成功したことが確認され、胸に挿した管を抜くことになった。N先生と仲間たちがやってきて、初日に管を挿した時と同じ要領で今度は抜いて、傷口を縫った。挿す時ほどの痛みはないが、針で縫われる感覚は気持ちが悪かった。この傷口のみは通常の糸で縫っていて、抜糸が必要になる。その後、鼻に挿さっていた酸素の管も取り、尿道の管を除き手術前と同じ状況になった。しかし、左腕の痛みはかなり残っていて、動かせなかった。そのため、食事等は利き手ではない右手で食べた(Lac-Qは箸のみ左利き)。手術後から一度も直立しておらず、体力も落ちていたため、寝た姿勢から起き上がるのことも大変で、看護師からは頭に血が昇っていないから顔色が悪いと言われた。ベッドのリクライニングを使用して背もたれに寄りかからないと頭が支えられないほどであった。

 手術後の警戒時間が終わり、ここからは徐々に看護師の介助も減ってくる。午前に胸の管を抜いた後、午後には尿道の管も抜いた。なお、挿された時は全身麻酔で意識がなかったが、抜かれる時は麻酔はない。よって、非常に痛い。一息で一気に抜くので、この痛みは覚悟すべきである。食事も問題なくできていたため点滴も終わり、万が一の保険として針を残すのみとなった。尿道の管を抜いてから1時間後ぐらいにトイレに行った。これが術後初めての直立であり、看護師の介助でトイレまで行った。この時点ではまだ一人では起き上がれない。

 夕方になり、ようやく一人で起き上がれるようになると、親が送ってくれていたおやつなどを食べる余裕も出てくる。トイレ等にも一人で行けるようになった。退院は翌日の予定(手術から2日後)になっていた。ここでここまで触れてこなかったことであるが、私は術後から手術の影響による発熱が治まらないでいた。朝方は少し下がるものの、日中は37.5℃から37.9℃の間で推移し、熱が下がる予兆はあまりなかった。普段であれば熱があっても退院するのであるが、コロナ禍のため、熱があると退院しても日常生活には戻れない。なぜなら自由に活動することが難しいからである。

 次の日(退院予定日)の朝、熱は微熱であった。N先生は多少の熱(38.0℃を超えないもの)のことを問題視してはいなかった。傷口も腫れていたため想定内なのである。これによって2週間分の痛み止め(自動的に解熱剤)と共に私は退院することが決まった。残していた点滴用の針を抜き、荷物をまとめて午後3時ごろに退院した。この時、体温は37.2℃であった。

退院から抜糸まで

 退院後の状況を一度整理する。3つの傷口のうち、2つは抜糸の必要がない溶ける糸で縫われているもので、強い粘着力を持った補強テープで傷口が開かないように押さえられていた。もう一つは抜糸が必要なもので、糸以外の補強は特にはなかった。左腕が筋肉痛で満足に動かせない。腹筋等も弱っており、また医師から力まないように指導されているため、自由には動けない。熱は普段の平熱から比べるとやや高く、微熱である。また病院では気にならないが、息苦しさが残っている。これは肺気胸によってしぼんだ部分が再び膨らみきるまで時間を要するからである。咳き込む、くしゃみをするという行為は問題はないが、かなり痛い。本当に怖くなるぐらい胸をギュッと掴まれる痛みが走る。風呂には入れるが、傷口の保護のため湯船は抜糸まで厳禁である。その抜糸は退院から1週間後の予定であった。

 家に帰ってきた次の日、熱は37.8℃まで上昇した。また傷口のうち抜糸のいらないものの一つから血が漏れ出ていることに気づいた。まだ血が止まっていなかったのである。この血は拭いても押さえても止まらなかった。そのさらに次の日には熱が38.2℃まで上昇し、かなり体が辛い状態であった。また、その傷口は他の傷口と比べ腫れも酷く熱を持っていた。追加して押さえていたガーゼでも血も止まらなかったため、一度病院に連絡した。そこでは強く押さえつけた状態で24時間経っても血が止まらなかった場合は病院へ行くということになり、ガーゼとテープでガッツリと固定した。

 止血試みた次の日、確認するとおおむね血が止まっていたため、病院へは行かなかった。傷口の血が止まってからは腫れも徐々にひきはじめ、また高熱も治った。依然として微熱は続いたが、それもやがて治まり、血の出ていた傷口が原因であったことを知った。左腕も腫れのひきと共に日に日に動かせる範囲は増えていった。私は左腕の痛みが「こり」によるものか、傷口によるものか分からなかったので多少動かしていた。これは傷の治りを遅くしている可能性があったと今では思う。

 予定通りの日に病院へ行った。レントゲン検査等の一通りの検査を終え、N先生から話を聞いた。止血もしたため治りは問題ないと言われた。そして糸の残る傷口の抜糸を行った。これはチューーっと糸を切りながら抜くので痛いと言えば痛い。私は幾分痛がりであった。

現在まで

 抜糸後は行動の制限はなくなる。スキューバダイビングや、飛行機での移動など、肺に負担のかかる活動も一応はできるということになっている。新型コロナウイルスのワクチンも打って良いことになっていた。しかし私の場合はまだ左腕が痛く、完全には治っていなかったので、1ヶ月程度は様子を見て、それから打つことを推奨された。これは危険があるというより、ワクチンの後の副反応がわかりにくくなることを防ぐためである。

 痛みは長い期間残る人もいるそうであるが基本は問題がない。朝に傷口が痛い日は不安になるがそれもやがて気にならなくなった。退院から1ヶ月以上2ヶ月未満である現在は、日常生活で痛みを感じることはない。ただし、くしゃみや咳を1日何回かしていると少し痛みを感じるので、手術をしたことは自分でもまざまざとわかる。ただしここまでくると気のせいの部分も大きいはずである。私なので。

まとめ

 以上が肺気胸の発症から治療までである。胸に違和感があり、息苦しさのある方は注意されたい。骨格上、女性がなるケースは極めて少なく若い男性に多い。手術によって、再発のリスクはかなり下がるので、私はとりあえず安心している。しかし、もう片方の肺はまだ発症のリスクがある(別の肺なので再発とは言わないが)ため気をつけたい。

 なお、最後に私のこの例はあくまでも1例である。もちろん手術や処置については大きく変わらない。しかし、私は極度に過敏で気にしいで痛がりであるので、平均的な感想はここまで痛そうではないはずである。私は今回の入院でも看護師やN先生に「痛そうだね」と何度か笑われているので、おそらくここまで痛がりは珍しい。であるからあまり心配しないで入院して手術して欲しい。胸腔鏡手術が可能になる前は胸をガバッと切って開けるしかなかったので、手術をしない場合もあったそうである。それに比べると穴3つで済むのはかなり安心できる。

 ちなみに私の祖父も10年以内に肺気胸を発症しているのであるが、私のように高熱が出ることも、左腕が痛くなることもなかった。まぁ発症に気づかず、片肺が潰れた状態でゴルフをしていたらしいが・・・(そして酸素量も正常値を叩き出していたのでこれはこれで例外中の例外)

 と、いうわけで肺気胸のルポでした!!みなさんもお体大事にして欲しいです。というか肺気胸は発症を予防するのは不可能なので、おかしいと思ったらすぐ病院へ!!

実録!肺気胸入院ルポ” に対して1件のコメントがあります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です