「なんちゃって」を使い続けて

 みなさん、こんにちは。3度の飯より3人での活動が好き、Lac-Qです。実は今年(2021年)の夏で「なんちゃって委員会」結成5周年でした。そのことを記念して、いやまぁ自分の中の整理としてつらつら書きたいと思います。

 さて、「なんちゃって」という言葉の歴史はまさに私とラクラジオで活躍する私の仲間、りゅーだいとの歴史にほかなりません。小学校5年生のときのお楽しみ会で黒板に書いた文字、「なんちゃって江南」の文字が全ての始まりでした。そして中学3年の文化祭でやった「なんちゃって江南」で今の「なんちゃって委員会」の原型ができました。そこから5年です。「なんちゃって江南」でやっていたことは韓国のアーティストPSYさんの「江南スタイル」をパクって踊るというものでした。小学生の頃はとにかくこの曲にハマって、りゅーだいの気分を乗せて、ふざけさせていました。中学のときは映像作品として、受験生としてはそこそこ頑張った出来になっていたのかなぁと思います。じょーたのカメラとりゅーだいや仲間たちの演技で、とにかく作っているのが楽しかったです。

 中学を卒業して最初の夏、つまり高校1年の夏、私はスマホを使ってラジオを録り始めました。そう「何をするか会議」です。「なんちゃって江南」でパソコンを使って動画を作ることに興味を持った私は、「コエンタイム」などを聞いていた父親から影響されてラジオを録ろうとなったのでした。ただ、当時ラジオを録ることへのモチベーションは、編集の楽しさ以上に3人の関係を繋ぎ止めたいという気持ちによって保たれていました。それぞれの進路でそれぞれの勉強をする私たちにとって、「集まる理由」が欲しかったのです。集まっても、スマブラと思い出話に終始してしまう3人の中に「わざわざ新しい話をしなければならない」というのは良い刺激になると思っていました。それは今でも思っています。昔の話ばかりも楽しいですがそのうち飽きてしまいます。新しい思い出が欲しかったのです。

 そんな理由もあって話すことは本当にまとまりがない。今だってそんなに大したことは話してないのに、「この後何して遊ぶか」や「ポッキーとプリッツどっちがいいか」とか「カレー味のうんことうんこ味のカレー頼むとしたら」というようなことを50分もダラダラ話すという流石に今ならやらないことを全世界に配信していました。その時から聞いてくださっている方がいたら連絡してください。お話ししましょう笑。そんな1年目でした。

 番組は6話で打ち切りし、リニューアルをしました。高校2年の春でした。今日まで続く「何をするか会議」は概ねこの時の構成が続いています。さらにTwitterを始めて、Podcastの世界の広さを知りました。振り返るとこれ以降の期間、さまざまなことが「何をするか会議」の「外側」で起きていました。思い出すと私たちもずいぶん平和になったなぁと思います。第一に部活が忙しくてなかなか集まれない日々でした。話したいことがあるのに、集まる時間がない。やっぱりもっと当時の自分たちを記録に残しておきたかったです。管理不足で失った音源も結構ありました。夏祭り、忘年会、初詣と何かにかこつけて集まり、ほどほど楽しむとじょーたの家に転がり込み暗くなるまでスマブラをする。もはやこっちの時間の方が長かったことは言うまでもありません。しかしそんな流暢な時間も過ぎて、3年になると卒業後のことを考えなければいけませんでした。私はセンターを受けるというレールが敷かれていたのでやることはシンプルでしたが、りゅーだいは色々悩んでいたみたいです。会うたびに「どこに就職するの?」と聞いて「うるさい」と怒られていましたが、本人から悩みについて話してくれることもありました。そうそう、じょーたは「ペトモンテ」というオリジナルキャラクターを作り、スタンプ制作に励んでいました。

 結局蓋を開けてみると私の進路決定が一番遅く、卒業を祝ったような集まりもすることができませんでした。でも2人とも私の合格を待ってくれて、情緒不安定な私を励ましてくれた記憶があります。感謝しかありません。そうこうしているうちにコロナが広がって、そこから先は・・・今日まであっという間でした。私以外は、拠点がコロコロ変わりました。遠くに行ったり、実家が近くに来たり、遠くにしばらく行ったり、めっちゃ遠くに行ったり。りゅーだいやじょーた以外の知り合いも気づけば、多く仙台から去ってしまいました。いつまでもぬくぬく実家で暮らしているのは私だけということです。

 しかし、幸いにも「何をするか会議」は続けることができました。season1の全6回、season2の全27回、そしてProject CLR以降の37回、5年で合計70回です。お世辞にも広く知られた番組ではないけれど、我々の変化や空気感を詳細に記録した遺産だと自分では思っています。もしも、このラジオが70歳まで続いたとしたら、素人のラジオとして人生を追ったものとしては極めて貴重なものになるのではないかと思っています。まずは5年後、25歳のときまでこの番組が続いて楽しく話せているといいです。大なり小なり頑張っていきたいと思います。(Lac-Q)

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