僕とモダンチョキチョキズ(とても個人的な回想)

 皆さんこんにちは、Lac-Qです。最近やってますか??——何をや。

 さて、9月1日にあるアーティストからある楽曲が配信されました。アーティストの名は「モダンチョキチョキズ」、そしてその曲の名は「きんかん」、決して5人では聞かないでください——あ、なんやそれ
私にとってはまさしく伝説のバンドである「モダンチョキチョキズ」、その新曲が令和の今、聴けるということは驚き以外の何物でもありません。今回は、ついに来週(記事公開時)に迫った東京でのライブ「よせばいいのに〜モダンチョキチョキズvs餃子大王東京編」に先駆け、私、Lac-Qのモダチョキとの思い出をつらつらと書かせていただきます。モダチョキへの愛に溢れた内容ですが、ユーモアは特段ありません。一人の記録としてお読みください。そしてモダチョキ復活への感慨にふけりましょう。

過去のライブレポートはこちら

(2023/09/05 誤字脱字を修正すると共に一部伝わりにくい表現を改めました)
(2023/09/10 脱字を修正しました)

目次
・モダチョキとの出会い
・中学生の華麗なる布教計画
・モダチョキ、その深さを知る
・令和のモダチョキと再会する
・新たなる希望
・さいごに

モダチョキとの出会い

 21世紀、それはモダチョキリスナーにとって、苦難の時代でした。私は2001年に仙台で、生まれ今日まで生きてきました。モダチョキと出会ったのは私の音楽体験の中でもかなり初期の方で、もはや正確な記憶もありません。なぜなら、私がモダチョキを知ったのは、昭和生まれの母の影響だからです。車で、部屋で、何度も何度も「モダチョキ」を刷り込まれ、気づいた時には音楽好きの両親の影響をモロに受け、立派なモダチョキリスナーが爆誕していました。

 少なくとも自覚的に音楽を聴くようになって最初に好きになった音楽は「SONIC THE HEDGEHOG」のゲームのサントラかモダンチョキチョキズの「別冊モダチョキ臨時増刊号」です。ほぼ原体験なのです。

 私は中学の入学祝いにiPod nanoを買ってもらい、自分の好きな曲を集めてプレイリストを作って遊ぶという音楽好きなら誰もが通る行為に興じていました。下記の画像がその記念すべき中一の1作目のプレイリスト「Highway」です。

注目すべきは、その2曲目に、「ジャングル日和」が入っているということです。私にとって、「モダチョキ」はポルノグラフィティやセカオワと並ぶ重要な「お気に入り」だったのです(14曲目のTHE BOOMもなかなかのインパクトですが)。2023年現在の私の音楽はスピッツ、アジカン、くるり・・・というような感じですが、まだ親の影響下にあった中学1年生(2014年ぐらい?)はこんな感じでした。それぐらいモダチョキを聞いていました。
ちなみに2作目には「THE 絶望行進曲」と「天体観測」を収録、3作目には「自転車に乗って、」「新・オバケのQ太郎 MEGA MIX」、4作目には「恋の山手線」「主夫の生活」、6作目に「エケセテネ」、7作目「サラリーマンノーデリカシーバットナイスピープル」が収録され、その後も12作目あたりまでは毎回何かしらモダチョキが入っていました。どんな中学生だよ笑

中学生の華麗なる布教計画

 そんな立派なモダチョキリスナーであるLac-Qは中学校で布教活動に勤しんでいました。当然、モダチョキを知っている同級生は皆無、それどころか学校の先生ですら、40代の英語の先生以外は知りませんでした(それも「あー、濱田マリのね」程度)。そりゃそうだって感じですが、私はめげずにモダチョキをプッシュし続けていました。

 例えば、学校のお昼の放送。生徒会執行部という役で毎週お昼の放送を担当していた私は、完全に私の趣味でさまざまな音楽を流していました。もちろん、モダチョキも流したのです。「自転車に乗って、」や「ジャングル日和」といった比較的?メジャーどころは流しました。さらには「博多の女」も流しました。
目を瞑って想像してみてください。お昼の給食の時間、ご飯を美味しく食べていると、突然「まんじゅうにアイデンティティはいらないのか〜(いらんわ〜い)」と聞こえてくるのですから。「博多の女」を流した日のことは今でも覚えています。放送の時間が終わり、教室へ帰ると放送を聞いていた人から向けられる「なんだあのイカれた音楽は」という冷たい視線、学校の先輩からは「もっとみんなが楽しめる曲を流すべきだ」と謎の説教を受ける始末、私は布教活動の難しさを知りました。多分、2015年に学校のお昼の放送でモダンチョキチョキズを流した人間はこの広い宇宙でただ一人、私しかいないでしょう。

モダチョキ、その深さを知る

 高校生になる頃にはすっかり布教も諦め、ひっそりと聴くようになっていました。いわゆる邦ロックとの出会いを経て、モダチョキは一時期ほど聞かなくなりましたが、思い出してはアルバムをそれぞれ聴いていました。

 改めて、聴いていると歌詞の深さにハッとすることがあります。例えば、先述の「博多の女」。「お土産のまんじゅうなんてどれも同じだ」という歌ですが、その鋭い視点には脱帽です。この曲を真面目に聴いてしまうと、その後、どの旅行先に行ってお土産屋を物色してもこの曲がよぎるのですから。

どうせ札幌のプリントクッキーもエジプトのプリントクッキーも同じようなもんだろ」とね。

 「THE 絶望行進曲」の歌詞「毒と間違えラムネを飲んで 線路に寝た日はストだった」の表現の物寂しさにも感動しました。「主夫の生活」の「いつでも風呂が磨ける」というのも子供ながらに深いものを感じ取っていました。「ジャングル日和」の「部長課長係長いつも がみがみぐちぐち でも聞き流したりはしないよ だって」——「それはもうジャングルのスッコーーーール!!」というのもなかなかユーモラスでそして前向きな歌詞です。私はバンド活動の中で作詞作曲もしているのですが、このような表現は時々参考にしています。

あ、そうそうそういえば、高校生の時、演劇の大会に出た私は、劇中に「主夫の生活」を使いました。多分これも当時他にいなかったでしょうね。

令和のモダチョキと再会する

 大学入学後はなかなか聴く機会が減っていました。理由はサブスクに加入したからです。残念ながら2023年現在もサブスクでは新曲「きんかん」と「新・オバケのQ太郎」以外を聞くことはできません。生まれた時から既に過去のバンドであった「モダンチョキチョキズ」、それが私の人生においても過去の音楽になろうとしていました。

 しかし!そんな中、突如としてモダチョキは帰ってきました。最初は情報が良くわからず、何がなんだか理解できていませんでした。そして、徐々に明らかになるとその感動が押し寄せてきました。広く音楽を聴いてきた私ですが、人生においてまだ「再結成」というもの経験したことがありません。それがまさかモダチョキで実現するとは考えもしなかったのです。

 流石に関西までは行けないのでようやく見れた配信ライブ、そこにはもう「俳優」という印象しかなかった濱田マリさんがボーカルとして歌う姿、「ヒデオ」という限られた映像でしか見たことのなかったメンバーの姿がありました。正直、濱田マリさん以外のメンバーはアルバムを聴いているだけではよくわからず、初めて顔と名前を一致させました。「これがガンポンギか、これが保山さんか、これがヌルピョンか・・・」それはさながら、古い書物に断片的にしか残っていなかった伝説の生き物たちを見るようでした。

これがアオアオアオアオアオアオアオアオアオ!!!!か!!!!!!!!

私にとって配信ライブは、散り散りになっていたモダチョキの魂が一つになり、まさしく「令和のモダチョキ」の姿を見た瞬間だったのです。中学生の俺!!!聴こえるか!!!!モダチョキは本当にいるんだぜ!!!!

新たなる希望

 2度目のライブあたりからにわかにモダチョキは盛り上がっていきました。「3%の歌」の流行(?)、えげつないぐらいリツイートする公式Twitter、そして濱田マリさん自身のモダチョキ発信が1番の驚きでした。

 「サンドどっちマンツアーズ 神戸対渋谷」ではモダチョキメンバーが登場するどころかロケに同伴させるという偉業を達成し、令和のモダチョキがいかに本気であるかということが伝わってきました。だって、モダチョキ知らない人にとってヌルピョンの食レポとか意味不明だろ!!

 さらに「きんかん」の配信もスタートし、オリコンニュースなどでも取り上げられました。スマートニュースで「モダチョキ」の文字を見る日が来るとは思わなかった・・・。

 そして、9月10日、ついに私は生のモダンチョキチョキズを見ることになります。これまで遠い90年代の置き土産だったモダチョキの音楽が本当に目の前で繰り広げられるのです。この楽しみはなかなか何にも代えられません。一体どんな体験が待っているのでしょうか。私は今から本当にワクワクしています。

さいごに

 これ読んでいるモダチョキ関係者のみなさま(わかんないけど笑)本当にありがとうございます。令和にモダチョキが見れるなんて、普通に諦めていました。それが東京で見ることができるなんて。

 楽しみでなりません。同じくモダチョキリスナーのみなさま、会場でお会いしましょう。振り付けよくわからないので頑張ります。(Lac-Q)

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