君はオトッペを見ることができるか
三度の飯より、リッスンキケケ、どうもこんにちはLac-Qです。まずはこの記事にたどり着いた縁として3分間下記の動画を見ていただけませんか?
(2023/09/18 著作権の観点から公式動画の埋め込みを削除しました。ご迷惑をおかけして大変申し訳ありません。)
今オトッペが熱い(俺の中で)
皆さんはオトッペという教育番組をご存知だろうか。月曜〜金曜午前8:40〜8:45または午後5:55〜6:00にNHKEテレで放送されている「身の周りにある音を聞くこと」をテーマにした番組である。ストーリーを軽く説明すると、音から生まれた生き物「オトッペ」が住む世界に迷い込んだDJ見習い少女「シーナ」が世界一のDJを目指す日々を追うというものである。とは言っても世界一のDJになるために主人公シーナが修行するというストイックな話ではなく、あくまでも様々な音の具現化(水のピチョンという音や紙のペラペラという音の妖精?)と出会い、織りなす日常系のアニメだ。身近な音をテーマにしているだけあってキャラクターが豊富で特徴的だ。しかし、この番組の魅力はただ音と触れ合うなどという生温いものではない。まずそのストーリーがナンセンス極まりないのだ。まず主人公のシーナ、彼女は異世界に迷い込んだ人間であるにも関わらず、すんなりと状況を受け入れる(帰りたいとか言わない)し、「音の変態」であるため何か気になることや倫理的な問題を孕んだことでも自らの好奇心のためなら全てを無視する。演出やセリフもむちゃくちゃで視聴者が思わず突っ込みたくなるものも多い。展開も早く、同じくEテレの「キッチン戦隊クックルン」といい勝負だ。しかしその絶妙なバランスやキャラクター性は幅広い年代を虜にする魔力を持ち合わせており、番組としての中毒性は近年のEテレの中でも私は1番だと評価したいと思っている。(何を偉そうに笑)。しかし、Eテレというある種広くの年代(親と子)、多くの視聴機会(大抵親子は習慣的にEテレのアニメ帯を見る)がある局の番組であるため、その他の教育番組と一線を画すセンスを嫌う人も多いようだ。
キケケ?ベベベのべ?何の話だ・・・
何故嫌われているかわかるかというと検索エンジンで「オトッペ」と入力すると「オトッペ 嫌い」と出るからだ。もちろん大抵の番組にはいわゆるアンチがいることであろう。特別オトッペだけが嫌われているかは定かではない。だが少なくとも主要な子供向け番組で検索補助されてしまう番組がそう多くないことは事実だ。さて、掲示板などでそのコメントを見るとかなり辛辣なものが多い。要約するとこうだ。「意味がわからない、(だから)何が面白いのか分からない、(そして)ためにならない」うーん、自分の親がこんなことを言う人じゃなくて良かったと思う。年齢的にも子供と大人の間にいる私がこのコメントについて考察してみたいと思います。とその前に、皆さんはこの番組楽しむことができるでしょうか?それを試すのが一番最初に載せた曲だ。この曲にオトッペの魅力と、オトッペの真のメッセージ、そしてそれを理解できなかった人に嫌われる理由の全てが詰まっている。
まず「意味が分からない」ということについて。確かにこれは一部ではあっている。例えば載せた曲「チャラ・ザ・ワールド」の2番の歌詞
モナリザ ヤギが食べた
【公式MV】「オトッペ」EDソング”チャラ・ザ・ワールド”
あなたがこの歌詞に違和感を覚えても私は責めない。これを聞いてなるほどとなる人の方が少ないと私は思う。オトッペで使用される曲はオトッペのアニメと世界観を同じくしているので結構癖のある歌詞が多い。今回紹介した曲以外も不可解な擬音や「シャケベイベー」という造語があり、聞くものにとにかくインパクトを与える。しかしこれに対して「意味がわからない」と憤慨することの意義がどれほどあるのだろうか。というのもそもそも「意味があること」に何の意味があるのか、という疑問を持たざるを得ないからだ。無駄に思えるものにこそ価値があり、意味のないものが役に立つということはよく聞く話であり、だいたい曲の歌詞を理解できないとして感受性の問題も残っている。これが国語の作文番組なら文脈の破綻という問題はあるかもしれないが、話の展開や曲の詞においてその突飛性が面白いと私は思うのである。
次に「何が面白いのかわからない」というもの。この番組へのコメントを見ると「子供ははまっているが」ということが多い。そう子供は「何が面白い」のかわかっているのだ。こんな痛快なことがあるだろうか。これは一人一人の価値観の問題だから別にこの番組が嫌いでもなんら問題はない。でもお母様、お父様、あなたがた番組側から見透かされてますよ!もう一度曲を振り返る
きにしすぎると おとなになっちゃうよ
【公式MV】「オトッペ」EDソング”チャラ・ザ・ワールド”
これがこの曲の本当に伝えたいことだと私は感じた。初めてこの曲を聞いたときAメロの歌詞に私は声を出して突っ込んでいた
「なんだこの歌詞笑、どゆこと?」
しかしそのツッコミのあと、無慈悲にも諭されるのだ。
「気にしすぎると大人になっちゃうよ?」
あー、やられたと思った。子供たちはこのメロディアスなダンスミュージックを毎日聞いて何ということなく歌うのだ。当然雰囲気で曲聞いている子供達にとって、歌詞の矛盾性は大人より気になっていないことだろう。そう、彼らは意味もわからず歌うのだ。「気にしすぎると大人になっちゃうよ」と。これにハッとさせられた。いつまでも少年のような心を持つことが褒められたことではない(私も19になり、もう少年ではなくなってしまった)が、これは細かいことを気にする私たちへの警告なのだ。つまらない大人になるなよ、という。「なんかわかんないけど面白い!」という純粋な世界の感性を取り戻すようオトッペは訴えかけているように感じる。それに気づけないと逆説的だがこの番組は面白くないのだ。
最後「ためにならない」というコメント。ここまで読んでくださったあなたならもうわかるだろう。
「そんなこと気にしてどうする?!大人になっちゃうよ!!」
だいたい子供が楽しく見てる番組に対して「楽しんでるみたいでよかった」という意義以外を求めるのは基本的に大人のエゴだと思う。もちろんないに越したことはないが、「にほんごであそぼ」のような大人から見たら明らかに番組の目的がはっきりしているような番組でも子供がそれを理解して見ていると思っているのだろうか。「あー、『にほんごであそぼ』があったから俺はことわざをいろいろ覚えるようになったんだなぁ」となるのは数年先の話だし、人によっては「にほんごであそぼ」の影響が自分の日本語学習に及んでいることに気づかないままの場合もあるだろう。私は今だって「ピタゴラスイッチ」の大半のコーナーを「なんか面白い」ぐらいの気構えでしか見てないし、何か役に立ったかと言われるとまだわからない。逆に言えばあなたがこの番組の目的がわからないのだとすればあなたもまたこの番組から学ぶべきことが残っているということかもしれない。この番組が十年後あなたのためになっているかも。とにかく「教育」という言葉をまに受けてコンテンツを選り好みする人がいるならもう一度考えてほしい。自分が「なんか面白い」と純粋に思っていたものを親から「なんかこの番組意味がわからなくてつまらないのよね」なあんて言われたくないじゃないの。
一応考えうる意義
この番組を受け入れられないのはその異質性ゆえだと考えた。論理の中で厳格に生きていれば聞いたことのない台詞回し、唐突な展開、文脈の破綻した歌詞・・・拒絶するに十分な要素は揃っているだろう。大人は自分の経験からそのぶっ飛んだ世界観についていけなくなっている。親の目線で考えれば「こんな変な番組自分が子供のころにはなかった、危険!」という思考回路があるのかもしれない。そんなここまで読んでくれた方に私なりのこの番組の意義を伝えるとすると、とにかく感受性ということになるだろう。この番組、実はアプリがあり、身の回りの音を録音して「オトッペ」を集められるのだ。番組では「聴察力」と呼ぶようだが世界に溢れる音に興味を向けてほしいということだ。アニメはその導入であり、キャラクターに興味を持ってもらう役割が大きいだろう。事実、序盤は「シーナがオトッペと出会って感動し、そいつらをスタンド能力でディスクにしてサンプリングしてDJプレイをする」という構図が多かったのだが、最近はもっぱら遊んでばっかだ。音が絡んでいるようには見えない話も確かに存在する。
ちなみに、前のトピックスと同様のアンチコメントは「デザインあ」や「ムジカピッコリーノ」にも一定数見られる。芸術に関する感受性をすりこんで人生を豊かにしてくれる番組だと思っているのだが、やはりそのセンスについていけないということか。
まとめ
という感じで今日はオトッペについて紹介しました。ともかく私は大好きなのでこれからも見続けたいと思います。もし曲を聞いて気に入ったら番組を見てください。コツは「あり得ないだろ!!!」とか声に出してツッコミを入れガハガハ笑いながら見て見ることです。楽しいですよ。長くなっちゃったんでおまけにはなりますが真面目に歌詞の解説もしてみますんでよかったらそちらもどうぞ。チャラにしましょ!
というわけで歌詞を軽く解説すると、まず基本構造はAメロで支離滅裂なことを言い、Bメロで「気にするな」といいサビで「チャラにしましょ」という。多分だがこれは曲名にもある通り、チャラ=無かったことに、ということで「失敗しても気にするな!」ということを歌っていると考えられる。もっともわかりやすいのは1番のAメロ
まいごで せかいいっしゅう
はちうえ たおして ジャングル
【公式MV】「オトッペ」EDソング”チャラ・ザ・ワールド”
迷子になっちゃった!、鉢植え倒しちゃった!、と言えば「チャラにする」というサビにと繋がるだろう。2番は「大事な(高価な)ものを壊しちゃった!目的と違うことをしちゃった!(でも結果オーライ)」ということになる。3番はさらにやっちゃった!と思ったことが思わぬ方向に繋がっていることを暗喩している。しかし、これはあくまでも表向きのテーマだし、すんなりとこう解釈できるわけではない。この曲の肝は前述の通り「大人になっちゃうよ!」ということであり、この一見意味不明な歌詞を意味不明なまま受け入れられるかを番組側から試されていると自然と考えてしまう。バントで満塁ホームランってそんなわけないだろ!うっかりシンギュラリティってどういうことだよ!これらの例えにいつまでもつっかかっているようじゃツマラナイ大人認定と考えることもできるし、もっと優しい意味を考えるなら「あなたがこの歌詞に疑問を持ったならそれはあなたが大人になった証拠です。あなたの子供がまだ疑問を持っていないならその純粋な心を懐かしむとともに愛してください」と感慨を覚えることもできるものになるはずだ。極め付けは
チャチャラーメン
【公式MV】「オトッペ」EDソング”チャラ・ザ・ワールド”
ここでなぜラーメンが振り付けとともに出てくるのか、そんなことを気にしているようじゃまだまだ大人です。私も知りません。毎回ここで吹き出します。
まぁ、「失敗」「文脈」どちらで捉えても「些細なことに気をとられて、感覚を鈍らせるな」という意思を私は感じるのです。