思い出の家に

 なんでもありの秘密基地。そう言われた時あなたはどこを思い浮かべるだろうか。小学校の中庭に作った名ばかりの「秘密」基地。あるいは、勝手に山に入って作ったお手製の秘密基地。私が思い浮かべる秘密基地は「じょーたの家」であった。

 私たち(つまりなんちゃって委員会のLac-Q、りゅーだい、じょーた)が本格的に仲良くなった中二のころ、遊び場は有無を言わさず「じょーたの家」であった。最初は土曜日か日曜日のどちらの日か、そして月に一度程度、私は「じょーたの家」に遊びに行っていた。やることはもちろんスマブラ。当時他の同級生とやっていて多少の自信があった私は久々に拳を交えたりゅーだいにボコボコにされた。それからというもの「スマッシュブラザーズ」という圧倒的なコンテンツを軸に私たちの遊ぶ頻度は増えていった。月に一度が週に一度になり、土日連続で遊ぶこともあり。夏休みになるとほぼ毎日じょーたの家には誰かがいた。特にりゅーだいはいわゆる「出勤」ということで朝早くからいた。文化祭に向けて3人+αで動画を作っていた頃だった。私は、朝6:30から中学校で撮影をして、家に帰り朝ごはんを食べ、午前中いっぱい塾の夏期講習を受け、そして家に帰りじょーたの家に行った。受験勉強とは名ばかりに、問題集の見開きページを解くごとにスマブラをしては遊んでいた。もはや、勉強の息抜きにスマブラなのか、スマブラの息抜きに勉強しているのかわからないわからなかった。夏が過ぎ、秋になると今度は学校帰りに行くようになった。大手を振るって遊ぶことが難しくなる受験シーズン、私たち3人は「勉強会」という名目でじょーたの家に集まった。もちろん流石に私も真面目なのでちゃんと勉強をした。それでも3人でそこに集まるということはいつしか当たり前で心地良いことになっていた。…ちなみにスマブラもした。卒業式の日も、離任式の日も朝はまずじょーたの家に集まった。(終わったあともね。そう、家に帰らず直接。)

 高校になっても相変わらずじょーたの家に行った。金がない私たちにとってゲームがしこたまあり、親のうるさくないじょーたの家はまさに秘密基地だった。高校生になっても私たちはスマブラをした、し続けた。朝9:00に集まり昼を挟んで夜7:00まで。こんなのはザラだった。金がないからポテチをパリポリすることもジュースをごくごくすることもない。じょーたの家の麦茶を片手にひたすら話てゲームをした。ゲーム以外のこととして始めたのがPodcastだった。

 じょーたの家の特徴はその飾らない家族である。本人には失礼かもしれないが広い家ではない。そして、留守なわけでもない。よって私はそこそこの頻度で親や妹と会い、話した。家族の方もあんまりにも私たちがお邪魔するのでいつの頃からか名前を覚えた。紙コップに壊れた水道。誰のかわからないアイス、プロペラがむき出しになった扇風機、ベコベコに凹んですぐに煙を出して止まるストーブ、壊れたテレビ台、二段ベッドに古臭いパソコン、押し入れのジョジョ、窓の外には洗濯物があり、雨が降ればゲームを中断して全員で運ぶ…。目をつぶればはっきりと想像できるほど私はじょーたの家に行った。いつだって遊びの起点、そして終点はじょーたの家だったのだ。

 しかし、そんなじょーたの家も今はもう無い。家族が遠い場所に引っ越すので家は手放されたからだ。じょーたが大学進学で家を出てから私たちがじょーたの家に行くこともなくなった。そしてこれからあの家に行くこともない。全てが過去になった。これまで良くしてくれたじょーたの家族そして家には感謝しかない。あの場所がなければこんなに遊んでこんなに仲良くなって、こんなにPodcastを録ることにはなっていなかっただろう。毎朝じょーたの家だった場所を横切るとき、カーテンのないおかげで殺風景な部屋が見える。今でも自転車を停めてその部屋に入っていけるような気がした。

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